「資本論」という言葉がタイトルにあると、それだけで拒否反応を示す方もいるかもしれない。
この本では確かにカール・マルクスの思想が取り扱われているが、共産主義を礼賛するような呑気な話ではない。
この本の根底にあるのは、現代においては、資本主義の論理の下で経済活動が最優先され、環境破壊・気候変動が深刻な事態をもたらすという危機意識である。
我々は学校教育で、「ソ連という共産主義の壮大な実験は失敗に終わった」ものと教わり、「資本主義は素晴らしいもの」という事を擦りこまれながら育てられてきた。
しかし、その資本主義は本来負担すべきコストを外部に押し付けて目に見えないものとし、地球と人類の存続を危機的な状態としている。
昔は、35度を超えるような真夏日は夏でも滅多になかったし、都市部でのゲリラ豪雨も大型台風も数年に一度しかなかった。しかし、今ではそれは毎年の当たり前のものとして我々の感覚も麻痺しつつある。
「経済成長至上主義」の船に乗っていると、それらの危機について声を上げて指摘することは、「変わり者」として扱われてしまう。
しかし、どうやら目を背けることができないほど切羽詰まった状況が訪れてしまったようである。
資本主義はそれ自身がもたらした地球のエントロピーの増大を、発展途上国などの弱者に転嫁することによって、その繁栄を実現してきたことに多くの人が気づいてきている。
そうした中で、エスタブリッシュメントは新たに「SDGs」や「ESG」という魔法の言葉を引用して、資本主義の枠組みの中で解決できる「地球の危機」は解決できるかのように流布している。
しかし、残念ながら、筆者によると経済成長と二酸化炭素削減は、求められるペースでは両立しえないのである。
我々は「SDGs」という聞きなれぬ言葉を聞いて、それが地球に対する害を与え続けて来た人類の原罪の免罪符として、救われた錯覚に陥り、真の危機から目を背けるという愚かな過ちを再度犯してしまっているのかもしれない。
我々が生き延びる唯一の方法。
それは、今まで乗って来た船を捨てることしかないのである。
残念ながら、私の頭脳では筆者の主張が本当に正解かはわからない。
但し、痺れるほどの説得力はある。
【おもな内容】
はじめに――SDGsは「大衆のアヘン」である!
第1章: 気候変動と帝国的生活様式
第2章: 気候ケインズ主義の限界
第3章: 資本主義システムでの脱成長を撃つ
第4章: 「人新世」のマルクス
第5章: 加速主義という現実逃避
第6章: 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第7章: 脱成長コミュニズムが世界を救う
第8章 : 気候正義という「梃子」
書評一覧:目次
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